■序文

大東流合気柔術の創始者は、清和源氏の嫡流 新羅三郎義光となっています。
この武術は、旧会津藩の中で 御式内 と称され、家老や奥女中、上級武士にのみ秘かに伝えられた 一子相伝
門外不出の 御止技 でありましたが、明治維新後 武田大先生が 旧会津藩 家老 西郷頼母翁より
「すでに剣の時代は去った。これからは柔術で身を立てよ。」と諭され
「しるや人 川の流れを打てばとて 水に跡ある ものならなくに」の和歌を贈られ、
「お前の他に この技を後世に伝え残すことはできない。」と その任を托されたといいます。

武田大先生は この武術を「斬られない なぐられない 蹴られない なぐらない 斬らない」と云い、
山本先生は「他人に怪我をさせず 自分も怪我をしない。」という全くの護身術であるとおっしゃって
後進の指導にあたって居りました。

1942年 昭和17年5月吉日 第36代大東流合気柔術 を受け継いだ 山本先生 は旧会津藩主 松平容保公より拝領の
紫の羽織の紐 と行平の刀一振 古備前焼の湯呑み茶碗等々の愛用品、そして巻物、更に「惣角」の「角」と武芸名
「源正義」から「義」の二文字を許され「角義」と名乗ることに加えて 武田大先生の跡継ぎとして
「・・総ての 主になれ・・」という意味で「総主」を名乗ることを許されました。

武田大先生の死後、大東流合気柔術手刀に独創を凝らし居合術を創始した 山本先生 は本居合を 無限神刀流居合術
と命名し 以来、山本一刀齋角義 を名乗りました。
本居合は 剣柔いったいの居合であるが故に、大東流合気柔術を修練したものによってのみ その真髄を会得する
ことができます。


<柔進館>
 第37代 大東流合気柔術
 第2代  無限神刀流居合術、無限流柔術
 総 主  須藤一刀齋義丈



■武田惣角源正義大先生  大東流の教授法について

一般に大東流合気柔術の技法については、複雑で数も多いことからその実体を理解できずにいる修行者や研究者が多い。
全国各地を巡回指導して歩いた武田大先生の教授方法には、ひとつの厳しい現実がある。
武田大先生の生きていた背景もあるが、技を見せてその存在を示し、決して原理を教えない。唯一人、手とり足とり、
口伝を含めて指導を受けその本質を会得できたのは、山本先生だけである。

山本先生も晩年になるまでは、弟子たちに “みせる” 稽古は行っていたが、技の原理にかかわるような口伝をまじえての
教授をしたわけではなかった。
さらに、山本先生も武田大先生同様、同じ技を繰り返し掛けても相手の状況により、すべての技を変化させていた。

大東流合気柔術は師から弟子へ受け継がれた口伝を十分理解し会得したものでなければ、その真髄を発揮できない。
大東流合気柔術にある御信用之手・秘伝奥義、合気二刀流その他、巻物の中に記されている内容を確認してみても、
そこから原理を読みとることは出来ない。

師から正しい型を習い、口伝を守り理解し、自ら錬磨しなければこの術は会得できない。


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